2013年11月29日

『電話が怖い』っていう病気? 電話恐怖症?

現在、連続して制作系の仕事を行っているため、
集中と内省を行ったり来たりしながら仕事しています。

だいたい2ヶ月に1度の頻度で、
こうした製作に集中する期間がやってくるのですが、
実はその状態の時が、一番メンタルをやられやすい状態だったりしています。
では、誰にやられるのか。。。電話の着信です。

スクリーンショット 2013-11-28 23.45.48.png

多分、僕は電話恐怖症といっていい状態なのではないかと思います。


ただ、電話恐怖症で検索すると、

・若い人に増えている。
・何を話したらいいかがわからない。


など話すことに対しての苦手意識として取り上げられていますが、
僕の場合は、電話というプロダクトを使うということや、
誰かと話すということが苦手なのではなく、(むしろ好きだし)

突然、個人の携帯電話にかかってくる

着信

が怖くて怖くて仕方がないのです。


めんどくさいとか、何か言われるから嫌とか、緊張するとかではなく、
かけてきた相手がだれであろうと、
iPhoneに着信がある度、また着信履歴がある度
めまいや吐き気を感じるくらいに怖いです。。
(誰かに言ってもなかなか理解されることがないのですが。。。)

スクリーンショット 2013-11-28 23.47.29.png


個人的には、このような自分の弱いとこを
「病気かも知れない」と、宣言することはいいことだと思っていはいません。
なにかの言い訳を作ってるみたいで。。。


ただ、前述の理由から僕は着信があってもほとんど出ないので、
せめてこのブログを見てくれた人に、僕が電話に全く出ないことがあっても、
かけてきてくれた方を避けているのではない!ということを知ってもらいたかったのと、

もしかしたら、本音を書くことで少しは楽になるのでは?
という淡い期待が有りまして、あえて書いてみました。。。


また、誤解がないようにするために下記のような用途として
電話を使うことは全く問題がありません。
むしろお話しているのが楽しいくらいです。


【会議として使う】
特定の人と、特定の時間に電話で打ち合わせしようと
事前に申し合わせている場合は全然平気。
(予定をうっかり忘れてしまう場合があるけど)
ただ、この場合Skypeでもいいわけで。。


【トランシーバーとして使う】
例えば、イベント中等にリアルタイムにチーム間で情報共有する際には全く平気。


【相手が誰であれ、自分からかけることは平気】
ものすごく自分勝手ですが…。
ただし、自分なこんな気持なのでできるだけ相手の不可も下げたくて、
こちらから電話をかける時、LINEで「電話していい?」か確認してからかけますし、
一言目に「今時間大丈夫?」と聞くことと、
「要件がx個あって…」と前置きすることは忘れません。

【会社にかかってくる電話なら平気】
会社の固定電話なら、他の人が躊躇している間にサクッと取ります。


とにかく、
突然角間個人の携帯電話にかかってくるのが嫌いというか怖くて仕方がないのです。

それでも生きていかねばならないわけで、
生きていくために携帯は使わなければいけないわけです。
何か対策しているか?というと、

名刺交換した人の電話番号は即登録するようにクセづけています。

知らない番号の電話なんて怖くてとれたものではないから。
それでも、突然電話がかかってくることに対しての恐怖心が多少和らぐだけですが。。。

僕にとっての着信は、
バラエティ番組のミステリーボックスと同じようなものな気がしてます。

スクリーンショット 2013-11-29 0.04.11.png

たいていは中にこんにゃくとか、兎とかが入っているけど、
知らずに手を入れている人は必要以上にビビっているあれ。
(TVの演出もあるとは思いますが…)


箱をあけても(電話を受けても)たいした要件じゃない!と
自分の中で予想はしていても、手を入れること(電話を受けること)が
怖くて仕方がないのです。

以前、Team LABの猪子さんが

「コミュニケーションというのは相手の不可を減らすために発達してきた
電話というツールはこの時代で言うと原始時代みたいなものだから重たい」


とおっしゃっていたのですが、本当にこの一言に救われています。

あとは、電話が怖いというリアルを受入た上で社会の中で
コミュニケーションを取っていくために、テクノロジーを活用することを意識しています。

テクノロジーという表現は少々大げさですが、
LINEやクラウドドキュメント等の日常的に使用している便利ツールのことです。

LINEでのコミュニケーションはへっちゃら。
スタンプとかコミュニケーションとして本当に便利だと思う。
KS(既読スルー)が窮屈とか言ってる人も散見されますが。。
(僕はKS沢山する方です)

むしろ読みましたよ。こちらがアクションしなくても勝手に伝わるのは楽ですね。
会話のキャッチボールとして使っているわけではないので
こちらは相手が既読か否かはそれほど気にしていませんから。

ただ、それでも電話を持ち続けるわけで…
僕が初めて携帯を所有したのは16歳の時。(DoCoMoのF502iでした)
MNPでソフトバンクに切り替えはしたものの、14年今の番号を所有し続けています。

固定電話が駆逐された代わりに携帯番号が
あって当たり前の、個人特定の大事な手段となっていますし、
あと10年弱は携帯がマストなこの状態が続くのではと思っています。


それまでいつ着信が来るかわからない携帯を持ち続けるために
今活用しているのが、Do not Disturb (おやすみモード)を
ONにするということです。

photo.PNG

僕のiPhoneは22時から朝7時半まで電話かけてもらっても繋がりません。


仕事上問題がないのかと言われますが、
緊急事態でどうしても話をしなければならない時であれば、
電話だけでなく、メールやLINEやTwitterに連絡するはずです。
また、僕は前述のとおりLINEやTwitterには比較的早く反応しますし、
仲の良い人はそれを知ってます。

TwitterやLINEを使えば1、2行で要件を伝えることができる
メッセージを考えるのを放棄している人にペースを乱されたくないですし、
何より純粋に着信が怖い。
本当に怯えている自分がいるのだから。その現実は受け入れたうえで
できることをやっていこうと思ってます。

なので、先にメールで後々電話で聞かれそうな内容を先回りして書いておくなど
できるだけ相手から電話がかかってこない状態になるようにしているつもりです。

もし「私も同じような状態にある」という方がいればTwitterで絡んでください
(電話は絶対やめてねw)


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2013年11月24日

映画『子宮に沈める』GrowAsPeople事務局の感想

他人に干渉されず、
誰かに頼る必要もなく自分で稼いだお金で自由に暮らせたら心地よいだろうと思う。

親や親戚の価値観に縛られることなく、
住む場所も仕事も結婚相手も自分で選択できる自由というのは、今や当たり前ように感じる。

そんな自由な生活に包まれていると、なにもかも自分ひとりでなんとかできるとさえ思ってしまう、
けれども思っていた以上に自分は(人間は)、社会は、頑丈じゃないかもしれない。

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 「子宮に沈める」の中で描かれている孤独な育児生活。

自分一人の力でも母としてなんとか二人の子どもを育てようとするが、次第に孤独も深まり、
シングルマザーとしての負担は増え、それでも一人でなんとかしようと夜の仕事を始める。

当然、どんな家庭環境においても、育児というのは大変な事業である。
母親は
「自分は母である」、
と常に自分を律することなしには育児なんて成し遂げられないだろう。

自分を律すること。もし、周りに親や親戚や親しい隣人がいない、
孤独な環境でひたすら自分を律することを強いられたなら、
それは二児の命の重さを持ってしても、耐えきれるだろうか…。

母性とは偉大で、その本能のもと、(どんな環境であっても)自分の子どもを育てるべきで、
それができて当然だなんて神話にすぎないのではないか。

過酷な環境のなか、たった一人での子育てを辛いと感じたとき、
私にも自由な生き方ができたのに…と思ったことだろう。

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 核家族化がすすみ、以前までは家、また村の中で賄われていた様々な事業は、
現代社会のセーフティーネットに委託されなければならなかった。

しかし社会のセーフティーネットというのは
今までの家族の代わりが勤まるほど頑丈で、身近で、温かみのあるものだろうか。

自由な生き方が選べる快適さになれきってしまい、
いざというとき助けを求める手段も見失ってしまっている。

そして自分で自分を律することに耐えきれなくなるとき、
自由な生き方ができたはずなのにどうして、と絶望する。

自分でなんとかできそう、やってみた、できなかった、当然の報いだ、
自分には能力がないから、努力しなかったから、ちゃんと生きてこなかったから…
それはなんて生きづらい社会だろう。

たとえどんなときも、最後まで助けを求められる社会でなければならない。

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2013年11月15日

雑誌【SPA!】は、降りてきてくれてる社会学だと思う (子宮に沈める連続記事)

秋に子宮に沈めるの緒方監督と対談した模様ってSYNODOSだけではなく、女子SPA!にも連続記事として紹介されていました!

せっかくなのでまとめて紹介

@女性たちを縛る“母性”に疑問 <「大阪二児置き去り死事件」から生まれた物語>

A身近にある児童虐待にどう向かいあうか?<映画『子宮に沈める』特別対談>

B「大阪二児置き去り死事件」はドキュメンタリーでは描ききれない


スクリーンショット 2013-11-15 23.13.34.png
(3部作ってワクワク)

今回掲載された内容はWEB版の女子SPA!ではあるのですが、
いつも思うのが、SPA!って降りてきてくれてる社会学の資料なんだなぁってこと。

週刊誌=稚拙

みたいな固定概念あると思いますが、
一方で、稚拙な表現だからこそ伝えられることとか層ってのが結構あるわけです。

モバゲーやGREEのゲームに対してWEB版パチンコと揶揄することは簡単ですが、
一方で、一般の人にむけて利用してもらいやすいデザインを備えているとも言えるわけで。

SPA!の記事も、こりゃ明らかにネタ記事だろぉ!って記事と、資料として参考になる記事が
一緒に掲載されていることって結構重要な事だと思うんです。

週刊誌にある“読まれるためのデザイン”の要素について研究してみようと思いました。
posted by GAP at 23:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | from 事務局 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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