2013年12月24日

若者を支援するNPOなのか?若者に助けを求めるNPOなのか?明確に。。

先日お誘いを受けてBigissue基金さんの勉強会
『社会的困難を抱えた若者応援ネットワーク』
に参加。若者支援に関る課題について活動範囲の異なる団体間で意見交換をしました。

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イベント後、内省的に考えてみたのですが、
NPO界隈がよく使う、【若者支援】って言葉に対し、
ずっと感じてた違和感の正体に気がついた気がします。。


【支援】という言葉の意味が、
環境的な理由、例えば経済的な疲弊や、いじめ、暴力を受け
心身ともに血を流し続けている若者に“絆創膏を貼る”ような、
緊急性の高い行為を指すのだとすれば119番のような
インフラとしてNPO発の支援は必要でしょう。

しかし、なんとなくの生きづらさとかを抱えて悶々としている若者に対し
支援という言葉ってやはり適さない気がします。

というのも、これまでも、そしてこれからも
若者に助けてもらってきたのが社会なのではなかったっけ?ってこと。。

本当に支援が必要なのは若者というより、
そんな若者に選ばれない、なんだか魅力の乏しい社会だったり、
組織だったりしてんじゃないのかなぁ、、っていう感覚です。
支援って時点でどこか上からな印象は否めないし。。

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前述のとおり、
何かの理由で今、血が流れ続けている人がいるのなら
誰かが絆創膏を貼ってあげた方がきっといいのです。

だけど、傷跡は残っているけれども、
それが治りかけていたり、今、血が流れていない傷だとしたら、
そんな若者に必要なことって、絆創膏を貼るような行為ではなく、
もっと右脳的なもの、未来的なコトなのでは?と思います。

日々のもやもやや、しんどさをどーにかできる場所は
病院ではなく、美術館や、博物館や、科学館だったりするときもあるんじゃないかな。

社会には、【怪我しても大丈夫!という安心!】と同じレベルで、
【右脳的な豊かさ】って必要だと思う。。特に若者にとって。

そしてその右脳的な豊かさを象徴する概念としては
【癒やし】より、【未来】のほうが相性が良さそうな気がします。


ほりえもんや家入さんが若者に支持されているのも、
こうした感覚に理由があるんじゃなかろうか?
彼らの行為には“みらい図鑑”をめくっている時のワクワク感があります。
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もっとも、『癒やしを与える行為より未来を感じる行為のほうが重要』
ということを言いたいのではなく、
組織の役割の違いをもっと明確にすべきということを言いたいのです。

組織のあり方が、
タンスに置いてある救急箱【絆創膏型】なのか、
本棚に置いてある図鑑【みらい図鑑型】なのかってことです。

もしあなたの組織が、もやもやしている若者に向けた活動しているなら、
とりあえずで【支援】という言葉を掲げるよりも、
若者に向けて「助けて」って言ってくほうが共感につながんじゃないかなぁ。。


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2013年11月24日

映画『子宮に沈める』GrowAsPeople事務局の感想

他人に干渉されず、
誰かに頼る必要もなく自分で稼いだお金で自由に暮らせたら心地よいだろうと思う。

親や親戚の価値観に縛られることなく、
住む場所も仕事も結婚相手も自分で選択できる自由というのは、今や当たり前ように感じる。

そんな自由な生活に包まれていると、なにもかも自分ひとりでなんとかできるとさえ思ってしまう、
けれども思っていた以上に自分は(人間は)、社会は、頑丈じゃないかもしれない。

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 「子宮に沈める」の中で描かれている孤独な育児生活。

自分一人の力でも母としてなんとか二人の子どもを育てようとするが、次第に孤独も深まり、
シングルマザーとしての負担は増え、それでも一人でなんとかしようと夜の仕事を始める。

当然、どんな家庭環境においても、育児というのは大変な事業である。
母親は
「自分は母である」、
と常に自分を律することなしには育児なんて成し遂げられないだろう。

自分を律すること。もし、周りに親や親戚や親しい隣人がいない、
孤独な環境でひたすら自分を律することを強いられたなら、
それは二児の命の重さを持ってしても、耐えきれるだろうか…。

母性とは偉大で、その本能のもと、(どんな環境であっても)自分の子どもを育てるべきで、
それができて当然だなんて神話にすぎないのではないか。

過酷な環境のなか、たった一人での子育てを辛いと感じたとき、
私にも自由な生き方ができたのに…と思ったことだろう。

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 核家族化がすすみ、以前までは家、また村の中で賄われていた様々な事業は、
現代社会のセーフティーネットに委託されなければならなかった。

しかし社会のセーフティーネットというのは
今までの家族の代わりが勤まるほど頑丈で、身近で、温かみのあるものだろうか。

自由な生き方が選べる快適さになれきってしまい、
いざというとき助けを求める手段も見失ってしまっている。

そして自分で自分を律することに耐えきれなくなるとき、
自由な生き方ができたはずなのにどうして、と絶望する。

自分でなんとかできそう、やってみた、できなかった、当然の報いだ、
自分には能力がないから、努力しなかったから、ちゃんと生きてこなかったから…
それはなんて生きづらい社会だろう。

たとえどんなときも、最後まで助けを求められる社会でなければならない。

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2013年11月15日

雑誌【SPA!】は、降りてきてくれてる社会学だと思う (子宮に沈める連続記事)

秋に子宮に沈めるの緒方監督と対談した模様ってSYNODOSだけではなく、女子SPA!にも連続記事として紹介されていました!

せっかくなのでまとめて紹介

@女性たちを縛る“母性”に疑問 <「大阪二児置き去り死事件」から生まれた物語>

A身近にある児童虐待にどう向かいあうか?<映画『子宮に沈める』特別対談>

B「大阪二児置き去り死事件」はドキュメンタリーでは描ききれない


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(3部作ってワクワク)

今回掲載された内容はWEB版の女子SPA!ではあるのですが、
いつも思うのが、SPA!って降りてきてくれてる社会学の資料なんだなぁってこと。

週刊誌=稚拙

みたいな固定概念あると思いますが、
一方で、稚拙な表現だからこそ伝えられることとか層ってのが結構あるわけです。

モバゲーやGREEのゲームに対してWEB版パチンコと揶揄することは簡単ですが、
一方で、一般の人にむけて利用してもらいやすいデザインを備えているとも言えるわけで。

SPA!の記事も、こりゃ明らかにネタ記事だろぉ!って記事と、資料として参考になる記事が
一緒に掲載されていることって結構重要な事だと思うんです。

週刊誌にある“読まれるためのデザイン”の要素について研究してみようと思いました。
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