2013年11月24日

映画『子宮に沈める』GrowAsPeople事務局の感想

他人に干渉されず、
誰かに頼る必要もなく自分で稼いだお金で自由に暮らせたら心地よいだろうと思う。

親や親戚の価値観に縛られることなく、
住む場所も仕事も結婚相手も自分で選択できる自由というのは、今や当たり前ように感じる。

そんな自由な生活に包まれていると、なにもかも自分ひとりでなんとかできるとさえ思ってしまう、
けれども思っていた以上に自分は(人間は)、社会は、頑丈じゃないかもしれない。

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 「子宮に沈める」の中で描かれている孤独な育児生活。

自分一人の力でも母としてなんとか二人の子どもを育てようとするが、次第に孤独も深まり、
シングルマザーとしての負担は増え、それでも一人でなんとかしようと夜の仕事を始める。

当然、どんな家庭環境においても、育児というのは大変な事業である。
母親は
「自分は母である」、
と常に自分を律することなしには育児なんて成し遂げられないだろう。

自分を律すること。もし、周りに親や親戚や親しい隣人がいない、
孤独な環境でひたすら自分を律することを強いられたなら、
それは二児の命の重さを持ってしても、耐えきれるだろうか…。

母性とは偉大で、その本能のもと、(どんな環境であっても)自分の子どもを育てるべきで、
それができて当然だなんて神話にすぎないのではないか。

過酷な環境のなか、たった一人での子育てを辛いと感じたとき、
私にも自由な生き方ができたのに…と思ったことだろう。

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 核家族化がすすみ、以前までは家、また村の中で賄われていた様々な事業は、
現代社会のセーフティーネットに委託されなければならなかった。

しかし社会のセーフティーネットというのは
今までの家族の代わりが勤まるほど頑丈で、身近で、温かみのあるものだろうか。

自由な生き方が選べる快適さになれきってしまい、
いざというとき助けを求める手段も見失ってしまっている。

そして自分で自分を律することに耐えきれなくなるとき、
自由な生き方ができたはずなのにどうして、と絶望する。

自分でなんとかできそう、やってみた、できなかった、当然の報いだ、
自分には能力がないから、努力しなかったから、ちゃんと生きてこなかったから…
それはなんて生きづらい社会だろう。

たとえどんなときも、最後まで助けを求められる社会でなければならない。

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posted by GAP at 23:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | from 事務局 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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